(国)東京医科歯科大
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2004年08月12日

東京医科歯科大学、任期制報道

大学改革日誌(永岑三千輝教授)-最新日誌(2004年8月11日)

 「全国国公私立大学の事件情報」によれば、集団ヒステリーのような任期制導入の風潮が広がりつつあるようである。本学の「大学像」とその新聞報道、首都大学東京を巡る報道などがその流れに棹差したことはまちがいないだろう。

 東京医科歯科大学は、いったいどのようなポストに任期制を導入したのか? 報じられるような任期制がどの範囲、どの規模で導入されるかが問題であろう。任期法に従う特定の限定的ポストの創設とそれへの任期制導入だとすれば、5年で25-30パーセントの首切りを合法化することもあるうることだろう。だが、その場合でも、科学研究の活性化にどのような意味でつながるのか、そのことは説得的に説明されておらず、検討されていないように見える。それでも、該当するポストの90%の人がそれに同意したという。すでに、逆らえない雰囲気と背後事情(同意しない場合のさまざまの不利益措置など)が形成されているということだろう。

 はじめから首切りの割合が決まっていれば、すなわち継続ポストのパイが決まっているのならば、内部で成果・業績の取り合い・奪い合いとなり、同僚の足のひっぱりあいとなり、悲惨な医療事故などが続発するのではないか、と危惧される。暗い予感が現実とならなければいいが。

 東京医科歯科大における任期制ポストの導入範囲とも関係するが、アメリカのような競争原理の激しい国でさえ教授90%以上、準教授80%以上がテニュアを取得しているという現実の意味は、強調してもし過ぎないであろう。目先の利害にとらわれることなく、また科学の論理以外のことで右顧左眄することなく、科学の論理にしたがって仲間・同僚と励ましあい刺激しあい、仲間・同僚の業績や向上が素直に喜べるようなシステムでなければ、豊かな発展はないのではないか。

 任期制ポストではかならず25%から30%の仲間が蹴落とされることになれば、本当に友好的で科学的な研究を集団的に進めることは、できるのか? 仲間を向上させ、同僚の業績を喜ぶ雰囲気となるだろうか。

 成果主義システムが失敗した富士通の事例がすでに広く知られるようになっているが、成果・業績の奪い合いとなるようなシステムは、現代の分業に基づく協業の科学研究体制を崩壊させるものではないか。そうした民間企業における「成果主義」人事制度の到達点すら、なにも考慮されていないかのようである。

 教育公務員特例法その他での身分保障なくしては、自由な学問研究はありえかったのではないか。同僚をけしかけあわせ、一定割合の首切りを必然化する中で行われる研究とは、どのようなものであろうか?

 少なくとも文科系の諸学問のように、業績の評価が一筋縄ではいかない科学の分野においては、このようなむちゃくちゃな任期制導入は、大学教員の奴隷化、精神的退廃を決定づけるだろう。「世界との競争」どころか、各大学で評価の権限を握るものたちへの、その他の一般教員の隷属化が進行することになろう。

 おなじ「全国国公立大学の事件情報」によれば、大阪府立大学でも、設置者サイド(設置者というのは地方公共団体であり大阪府であって、当面はその行政当局が打ち出している案であろう)から「人事委員会制度」が打ち出され、教授会の人事権を剥奪する方向で検討が進んでいるようである。人事権を獲得した人事委員会がどのような組織原理で運営されるか、研究教育を担う教員(単なる一部教員ではなくて、教授会)の判断を無視することが可能な制度であれば、学問の自由は壊滅し、大学の退廃は必死であろう。

 人事委員会に関与する学長や学部長など部局長が、構成メンバーの選挙ではなく「上から」「外から」の任命となってしまえば、単なる行政組織と同じであり、科学の論理・学問芸術の論理は排除され、従属化させられ、上意下達の組織原理となるのは目に見えている。そして、上意下達の原理こそは、自由な科学的研究の論理とは対立する原理である。独立行政法人化(国立大学法人化や公立大学法人化)は、このままいけば、大学解体・大学破壊のための手段ということになろう。その弊害に気づいたころには、日本の研究は創造性のない沈滞したものになりさがってしまうのではなかろうか。戦後50年以上の日本の大学の研究成果を、それほどに破壊して一定鋳物だろうか? 戦後50年以上の日本の大学の業績は、そんなにもひどいものだったのだろうか? むしろ、世界最先端を行くものではないのか。世界のトップクラスに到達したからこそ、そこからさらに日本の学術研究を前進させるためには、自由や創造性をはぐくむ制度設計が必要ではないのか? 任期制による首切りで脅かし人々の精神を縛るよりも、公正・透明なポジティヴな能力評価システムをこそ構築していくべきだろう。

 「大学評価」は、どのような研究教育システム、どのような人事評価システム、どのような大学運営システムかということと関連させて、検討されなければならないだろう。

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東京医科歯科大は「教授と助教授は五年」といった教員任期制の導入に踏み切った。
 本人の同意が前提だが、全体の九割が応じた。評価は厳しく、任期満了で対象者の二五~三〇%は更新されず地位を失う。もう悠然と構えてはいられない。鈴木章夫学長は「大学を活性化し、世界に伍(ご)すにはこのくらいしないと」と言い切る。

全入時代、教員に任期制 学校経営に民間流!

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2004年08月11日

全入時代、教員に任期制 学校経営に民間流!

第1部2007年ショック走る(1)「全入」の重圧、変革迫る(大学激動)

日本経済新聞(2004/08/03)

 七月二十三日に開いた文部科学相の諮問機関、中央教育審議会の大学分科会。二時間の議論を締めくくった南雲光男・元連合副会長の発言に、会場は静まり返った。「大丈夫だと思っていた大学がつぶれる。学生が路頭に迷う。『大学崩壊』のシナリオが三年後は現実になる」

予想2年早まる
 少子化と専門学校人気で大学・短大の志願者数は減り続け、当初予想より二年早く、二〇〇七年度に全員が入学できる時代が来る――その試算が初めて示されたのだ。五年あったはずの“猶予期間”が三年に縮まったショックは大きかった。ある私大学長は急きょ資料を教授全員に配り「夏休み中も対策を練り直せ」と迫った。
 「全入」はあくまで数字上の計算。新設校や短大はすでに苦しい。私立大は昨年度二八%が、短大は四五%が定員割れ。そして国立も例外ではなくなりつつある。
 筑波大の工学基礎学類は今春入試で、後期日程の応募三十一人に二十人しか受験せず、全員合格に。群馬大の応用化学科・材料工学科の後期も募集二十人に受験者二十九人。全員を合格にした。「東京の私立大がライバル。しっかり高校に営業活動しないと生き残れない」。本間重雄工学部長は危機感を募らす。
 東京水産大と東京商船大が統合した東京海洋大は、海洋電子機械工学科で十二人の定員割れが発生、四月に二次募集に追い込まれた。専門性の強い大学とはいえ、東京の国立大で起きた事態に、ある国立大学長は「油断するとああなる。他人事ではない」と漏らす。

 「全入時代」に突入する三年後。大学にもう一つの試練が待ち構える。
 「新司法試験の内容がいまだ分からず、学生はひどいプレッシャーで一種のパニック状態にある」。今春、全国で一斉に開校した法科大学院の一つ、島根大の山口龍之教授は指摘する。新司法試験は〇六年度に始まるが、これは法科大学院を二年間で卒業する法学部OBらが対象。第二の人生をかける元社会人も多い法学未修者は卒業まで三年かかるため、〇七年度こそ各校の「教育力」が試される天王山だ。その結果が翌年からの学生集めに影響し、その法科大学院が生き残れるかを左右する。

教員に任期制
 自助努力に期待して今春、国立大が法人化されてから四カ月。第三者機関による大学評価の発表も間もなく始まり、象牙の塔にこもってはいられない環境は整った。大学は優秀な教員の確保や研究の質向上に懸命だ。
 東京医科歯科大は「教授と助教授は五年」といった教員任期制の導入に踏み切った。
 本人の同意が前提だが、全体の九割が応じた。評価は厳しく、任期満了で対象者の二五~三〇%は更新されず地位を失う。もう悠然と構えてはいられない。鈴木章夫学長は「大学を活性化し、世界に伍(ご)すにはこのくらいしないと」と言い切る。 ただ、民間的な手法がどこまで大学になじむかは手探りが続く。
 「教授らに能力給を導入してはどうか」。三重大の経営協議会で学外委員を務める元ジャスコ副社長の谷口優氏は次々と改革案を提案した。だが大学側の答えは「検討させていただく」どまり。

民間流浸透せず
 「企業の論理を一〇〇%導入すると支障も出る」と慎重な豊田長康学長に、谷口氏は「国立大に観念的な危機感はあるが、行動レベルまで達していない」と手厳しい。
 大学の敷地内に留学生や学生向けのマンションを建てて半分を一般に賃貸、その家賃で建設費を賄う――国立大としては異例の構想を温める東京農工大は、法人化の旗振り役、文科省に待ったをかけられた。「こんな営利事業を認めたら何でもありになってしまう」「地の利の悪い地方国立大が不利になる」
 宮田清蔵学長は憤まんやるかたない。「文科省は『創意工夫を凝らす個性ある大学づくり』を求めながら、法人化後も裁量をなかなか認めようとはしない」

 四月の国立大法人化と法科大学院の誕生は、淘汰(とうた)の時代へのスタートラインにすぎなかった。「大学全入時代」まであと三年。そのころには勝ち負けがはっきりする。生き残りにあえぐ大学の姿を追う。


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