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2005年01月
掲載事項(記事)一覧


2005年01月27日

横浜市立大学、「教員の勤務条件に関する説明会」

大学改革日誌(永岑三千輝教授)
 ∟●最新日誌(1月26日)

昨日夕方6時から9時近くまで、「公立大学法人横浜市立大学教員の勤務条件に関する説明会」があった。予想通り、これまでに配られた資料(就業規則等)の説明がほとんどであった。一番肝心の点、大学教員の任期法の「精神」に則り、労働基準法にしたがって「全教員を有期契約にする」という就業規則案の法理と論理の不整合については、何も真正面から答えるものではなかった。「結論を堅持する」という行政主義的態度だけが明確であった。公務員としての身分保障と任期の定めなき雇用(65歳定年までの任期制)を、公立大学法人において上記のように3年・5年の有期契約に変更することが、重大な不利益変更(ほとんどすべての教員に対する重大な名誉毀損・精神的ダメージをあたえるもの、怒り心頭に発している教員がたくさんいる、諦観状態の教員もいるが)である、ということについては、まともに答えることなく、全参加者に沈うつな空気が支配したと感じられた。

「活性化」という言葉は上滑りであるように思われた。何回か「活性化のため」という言葉が使われたので、市長等によって任命された人々だけは少なくとも「活性化」しているのかもしれない。

いや、私の判断違いで、参加者の多くは元気が出たのであろうか?

質問の冒頭に立ったある教授は、この間、非常に多くの教員が去っていってしまったことを指摘し、全員への「任期制」導入は、活性化とは結びつかない、どうして「活性化と結びつくのか」と質問したが、何も明確な説明はなかった。

それとも、私だけが理解しなかったということか? 

「活性化」と全員任期制が結びついていることが理解できた人はいるのか?

給与条件等でも支離滅裂な答弁(扶養家族手当、住宅手当等が業績給に位置付けられたりしている、また基本給部分は一切変動なし、上がりも下がりもしない云々)があった(これまた重大な不利益変更といえるだろう・・・12ヶ月だったかで1号俸上がることがこれまでの体系だったから実質切り下げ)。

「活性化」を掲げながら、「大枠な予算削減」、したがって「小さくなるパイ」の分捕りあいを強制するシステムとなっていることについては、「わらってしまいました」という鋭い質問が参加者から出たが、まともな返答はなかった。第2回説明会があるというので、明確な返答があることを、一応は期待しておこう。

テニュア制度に関しては、「ノーベル賞級の教員」、とか「誰も認める人」ということで、非常に狭く設定するような発言であった。これは現在の全員定年までの期間の定めのない雇用からすれば、著しい条件厳格化であり、明らかな不利益提案である。テニュアについては明確な基準を示さず、むしろ厳しい条件を暗示しながら、全員任期制だけは認めろ、というのは通用することであろうか?

再任不可の可能性を残すという鞭で大学教員の尻をたたこうという魂胆が、見えてくる。鞭がなければ働かないのは奴隷である。「ルサンチマンの改革」と称されることにも一理あると思えてくる。

ある若手教員は、「これまではプライドと責任感で研究教育に励んできた、10年近く、交通事故やその他の事故に遭っても講義を休むことなどはなかった」とした。しかし、4月以降は、「教員評価を行う管理職を見たら大きな声で挨拶しよう」、「どうすれば教員評価をする人の感じを良くするかだけに神経を使うことになろう」と発言した。教育研究者としての誇りや責任感、学界(学会)での評価と名誉感等をインセンティヴとするのではなくなろう、と。こういうことに追い込むことは、やはり、「教員は商品だ。商品が経営に口を出すな」と言った人間を物扱いする発想と関連することなのだろうか?

学の独立、学問の自由、真実・真理(普遍的価値のあるもの)の探究を使命として教育研究を担う大学教員の精神的自由の制度的保障に関して、最も重要なのがテニュア制度(現在の場合は、全教員が定年までのテニュアとなっているが)であり、准(準)教授以上の大学教員にとってテニュアと学問の自由・行政等の支配からの自由とが密接不可分であることが参加者から強調された。これに付いても明確な返答はなかった。

最初の説明のなかでは、給与条件等を任期制のもとでとこれまでの制度とでは違うようにする、同じではありえない、格差をつけるといった意味の発言をしていた。それは不利益措置を匂わせるものであったが、経済的利害から精神的自由を束縛していくということになろう。

大学教員の評価に関しては、学生・院生の評価、学界の評価、社会の評価と多面的多次元的評価がある(現実にそれが行われている)。

ところが、今回の「教員評価制度」は、その第一次評価者からはじまってほとんどが行政任命(いずれは法人任命)の管理職によってなされるシステムであり、根本的な問題をはらんでいる。大学の研究教育(その本質的要因)にどこまで深い理解を持っているのかわからない人々が作った民間営利企業の評価制度がそのまま導入されようとしている。参加者からはこの点にも鋭い批判が繰り返しだされた。しかし、行政的任命に慣れ親しんだ人々(それによって現在の地位を得ている人、そして次の地位を得ようとしている人)にとっては、理解されないようであった。

最後に「ご意見・ご質問票」が配られ、評価制度、就業規則等、その他の三つの欄に意見や質問を書いて提出すれば、それらのすべてに対し回答する、ということだった。言葉の上での「回答」はできるだろう。私の理解力の限りでは、歴史的に不名誉な就業規則案として語り継がれるであろうような文章であっても、はじめに「全員任期制」という結論があって、それに即した文章を作成してしまう態度である以上、どこまで法理を尽くした回答が得られるのか、はなはだ疑問である。

大学教員任期法と労働基準法の適用のあり方、一般法と特殊法の関係、「大学の自治」・「学問の自由」と大学教員の身分保障の関係等に関して、教員組合がすでに集約的に問題提起し批判しているのであって、これら諸論点に、どれだけ論理的に法理を尽くして説得的に答えるのか、これまでの改革のあり方の全経過を見ると、ほとんど期待できないように感じられる。さて、どうなるか。

最後に学長予定者の挨拶があった。よく聞き取れない江戸っ子風の言葉をちりばめた発言であった。雑談ならともかく、新しい勤務条件等を説明会参加者に語りかける言葉としては違和感を持った。

それとも多くの人は、親しみを持ったのか?

そして前回同様、「後半」(というか6-7割と感じられたが)、英語で語った。これまた私にはほとんどわからなかった。「評価はまずやってみなければ」という結論的主張だけが、理解できた。

壇上に居並ぶ人々は一語一語しっかりかみ締め理解していたのだろう。

また、会場のほとんどの人々は英語のスピーチを理解できたのだろう。

しかし、私は理解できないので怒りを感じた。

なぜ、学長予定者はきちんとした日本語で語らないのか?

学長予定者のメッセージを明確な日本語で全教員に伝える努力をなぜしないのか?

学長予定者を任命した人は誰か?誰がお膳立てしたのか?

大学改革推進本部の人々はなぜフォローしないのか?

彼らは学長予定者の英語がすべて明瞭に理解できたというのか?自分たちは理解できたので教員はもちろん理解できたと考えたのか? 学長のそばにいた人々に、尋ねてみたらいいだろう。

教員が講義において学生に理解できないようなことをしゃべることは何も問題ないのか?

講義の準備不足として、厳しい評価が与えられるのではないか?


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2005年01月18日

横浜市立大教員組合、当局提示の勤務条件等案にたいする見解と要求(第1次)

大学改革日誌(永岑三千輝教授)-最新日誌(1月17日(4))
 ∟●当局提示の勤務条件等案にたいする見解と要求(第1次)(2005年1月14日)

当局提示の勤務条件等案にたいする見解と要求(第1次)

横浜市立大学学長 小川惠一殿

 昨年12月28日に大学当局が当組合に対して示した勤務条件等の案について、当組合は下記のような見解と要求を示す。当組合の見解を理解し、疑問に答え、要求を容れるよう求める。
 なお、今回の本文書は当局提示の案の一部に関するものであり、次回以降、「就業規則の概要」等の残りの部分について、またここで扱う問題についてもあらためて追加的に見解と要求を示す予定である。

2005年1月14日
横浜市立大学教員組合

1 根本的な前提
 昨年12月28日、大学当局が教員組合に示した勤務条件等案(以下、当局案と総称)は、大学が憲法上の責務としても社会的責任としても遵守すべき学問の自由を侵害する内容がふくまれていること、労働条件の重大な不利益変更をもたらす恐れのあることから、教員組合としてこれを容認することはできない。大学当局は、「大学の責務と大学教員職務の特性にてらした勤務条件等の設定を行う」「労働条件の不利益変更を行わない」という考え方に立って、教員組合との協議・交渉を誠実にすすめるべきである。

2 労働条件を具体的に検討するうえで不可欠な諸規定について
 当局案は労働条件を具体的に検討するうえで不可欠な諸規程がふくまれておらず、とりわけ、労働条件のうちでも最も重要な雇用期間、賃金について本来明確に規定されるべき諸事項に触れていない。組合および教員の提起する疑問に回答するとともに、組合との協議を踏まえ、明確な提示を行うべきである。

3 教員説明会
 昨年6月の中間案説明にさいし、当局は教員説明会の開催を約束している。今回提案にかんし教員説明会を開催し、教員の質疑・疑問・要求に誠実に回答すべきである。

4 教員組合との協議・交渉及び必要な手続を踏まえずに個々の教員に勤務条件に関する個別同意を迫らないこと
 教員組合との協議・交渉及び必要な手続を踏まえることなく個々の教員に勤務条件に関する個別同意を迫ることは不当・不法な圧力であり、許されない。労使双方の協議と納得にもとづく適正な合意形成手続を進めるよう求める。

5 原則全教員への任期制適用について

① 全教員を対象とする任期制が大学の教育・研究のあり方に真にふさわしい制度であるという論拠はまったく示されていない。
 全教員を対象とする任期制の導入が「優れた人材を確保する」といえる根拠は何か?
 「大学の教員等の任期に関する法律」(以下、「教員任期法」)が大学における任期制の適用を限定的に扱っていることとの関係で、今回提示された任期制案が大学における「教育研究を進展させる」といえる根拠は何か?
 以上の疑問に答え、十分な論拠を示すことを求める。
② 重大な不利益変更をもたらす任期付き教員への移行を正当化する根拠、理由は存在しない。
 任期の定めのない職員としての身分承継を否定し有期雇用契約に切り換えることは、教員にとってあきらかかつ重大な不利益変更をもたらす。それは、テニュア資格が大学教員にとって有利で高位のキャリアとされていることからもあきらかである。独立行政法人化にさいしそれほど根本的で重大な不利益変更を行う合理的でやむをえざる理由は、存在しない。また、当局案には、全教員の有期雇用契約への切り替えが不利益変更には当たらないとする論拠、制度根拠は示されていない。
③ 仮に任期制を導入する場合、法理から言って「教員任期法」に拠らなければならず、労働基準法(以下「労基法」)14条にもとづくことはできないはずである。労基法14条にもとづいて任期制を導入する当局案は、どのようにして合法性を主張しうるのか?
 しかも、労基法14条にもとづいての任期制導入を主張する当局案は、同14条の趣旨をも歪め、脱法的に利用しようとしている。
 当局案が依拠する労基法14条の有期労働契約における期間上限延長は、「有期労働契約が労使双方から良好な雇用形態の一つとして活用されるようにすることを目的としている」。(労働基準局長通達「労働基準法の一部を改正する法律の施行について」)今回当局の示した任期制案が労使双方にとって「良好な雇用形態」とはまったく言い難い。
 教員にとって従来の「期間の定めのない雇用」と比し、今回当局提案のどこが「良好な雇用形態」であるのか?
 これらの問題について説明を求める。
④ 有期労働契約が合意にいたらず、「期間の定めのない雇用」が継続する場合の勤務条件は「公立大学法人横浜市立大学職員の勤務条件(教員)」文書における「任期」の項を「期間の定めのない雇用」に変更すると解しうるが、それ以外に変更がある場合にはその内容と理由とを説明せよ。
 「使用者が労働者との間に期間の定めのない労働契約を締結している場合において、当該労働者との間の合意なく当該契約を有期労働契約に変更することはできない」(同上「労働基準法の一部を改正する法律の施行について」)とあるように、労基法14条にもとづく有期労働契約への切り換えにおいても個々の教員との合意が前提であり、合意をみぬ場合の勤務条件についても確認しておくのは当然である。
⑤ 当局案(「教員の任期制について」)に示された任期制の制度設計は、雇用形態の変更という最も重大な労働条件の変更を提案しているにもかかわらず、以下に指摘するように、あまりに曖昧で具体性を欠く。以下の指摘は細部にわたるものではなく、制度設計の基本にかかわるものであり、それぞれについて具体的回答を求めるものである。
○ 「教員任期法の精神にのっとる」とは具体的にどういうことか?
 教育・研究評価プロジェクト「中間案」に比して、教員任期法の精神にのっとる旨が示されたことは一つの変化であるが、具体的にどのような制度内容について教員任期法の精神にのっとっているのか?
○ 概要における「再任の考え方」は具体的な再任要件になっていない。
 「最低限クリアしてほしいこと」を要件とするというが、「最低限」とは具体的にどのような水準として規定しているのか?
 再任要件の内容として「取組姿勢、能力、実績など」としているが、「取組姿勢」の主観的で恣意的でない基準としてどのような指標を規定しているのか? また「取組」の具体的内容は何か? 複数の要素にわたる場合、それらの相互関係はどのように規定されているのか?
 さらに、「能力」の具体的内容は何か? 「実績」として判定されない「能力」として何を想定しているのか?
 なお、「再任の考え方」にある「新たな市立大学の教員として」の「新たな」とは、現在の学部、短期大学部等は想定していないという意味か?
○ 助手、準教授、教授の職位にあることの可否と教員身分にあることの可否が同一視されている。
 再任審査において当該職位にあることの審査基準・内容と、教員身分にあることの審査基準・内容とにちがいはないと考えるのか?
 あるとすればどのようなちがいを想定しているのか?
 市立大学教員として「最低限クリアしてほしいこと」と助手、準教授、教授それぞれの果たすべき職務が同じでないとする以上、再任の可否は直接にはそれぞれの職位にあることへの可否を意味するはずである。
 大学教員としての責務、市立大学教員としての責務、職位に応じた職務それぞれの内容についてあきらかにしたうえで、それらの相互関係を踏まえた再任要件規定が示されなければ説明としての一貫性を欠く。
○ 再任審査にかんする厳密で透明性のある手続規程が明示されていない。
 「教員評価制度の評価結果など」を用いるとしているが、教員評価制度を再任審査に用いることの理由、根拠はまったくあきらかでない。どのような理由・根拠から教員評価制度を再任審査に利用するのか?
 「教員評価制度の評価結果など」の「など」とは何か?
 教員評価制度の評価結果を具体的にどのように用いるのか?
 単年度評価である教員評価制度をどのようにして3年ないし5年任期の任期制における評価と連動させるのか?
 「人事委員会で審査し」とされているが、審査内容と結果について透明性を確保する具体的保障が存在するのか?
 再任拒否にたいする異議申し立て制度を必要なしと考えているのか?
 再任審査の結果について、「学長から理事長に申し出る」とあるが、「就業規則の概要」では、「理事長は、任期付教員の労働契約期間満了の際、当該教員を同一の職位で再任することができる」としている。「学長の申し出」が尊重される保障は、この文言によるかぎり、定かではない。
○ テニュア制度の導入を謳っているが、その具体的制度内容があきらかにされていない。テニュアの資格要件、テニュアへの移行条件をどのように想定しているのか?

○ 助手、準教授における再任回数制限の根拠が示されていない。この基準を仮に現行の助手、助教授に適用してみると、限度年限を越えるケースが存在する。特に、助手について3年任期の1回の更新しか認めない場合には、きわめて深刻な事態が予想される。このことを承知しているか?
 承知しているならば、予想される明白で重大な不利益を承知しながら当局案のような再任回数制限を設けているのはなぜか?
○ 3年任期の有期雇用契約は大学教員の職務にふさわしくない。
 大学教育にそくして教員の職務を評価する場合であれ、中期計画にもとづいて評価する場合であれ、3年任期の設定が大学にふさわしくないことはあきらかである。大学教育のあり方を無視している。大学における評価の整合性という観点から3年任期がふさわしいと考える根拠は何か?
 また、準教授について「簡易な審査」によりさらに2年の契約を行うとしているが、この場合、「簡易な審査」の内容は何か?
○ 昇任に関する制度内容は具体的にどのようなものか?
 「任期途中の昇任も可能」「当該者の経験年数等の条件によっては、…昇任審査を行い」といった記述からみられるように、任期制の再任審査と昇任制度との関連が指摘されているにもかかわらず昇任制度の説明が欠けている。
○ 再任と年俸との関係について曖昧な説明が行われている。
 再任にあたって年俸が同額、増額、減額の場合があるとしているが、年俸設定はその年度にかんして行われるものであり、3年ないし5年の任期最終年度における年俸増減をなぜ行うのか合理的説明がない。年俸設定が当該年度の教員評価にもとづくとするならば、「夏頃まで」の再任判断において年俸の増減を云々することは年俸制の趣旨に外れている。
○ ローン設定を困難にするなど、「期間の定めのない雇用」から期限付き雇用への移行によって生じると予測されるさまざまな不利益について当局はどのような検討を行ったのか?
 また、どのように対処するのか?

6 教員の給与制度にかんする当局提案について

① 年俸制の導入を柱とする新賃金制度の検討にあたっては賃金制度の不利益変更をもたらさないことを前提に組合との協議・交渉をすすめてゆくべきである。
② 当局提案の年俸制が教員のインセンティヴを高める制度たりうる前提として、民間企業と異なる教育機関である大学が、教員各人の業績に応じた処遇に必要とする原資を確保し保障できうることが必要である。一定の賃金原資枠内で年俸の増額と減額を均衡させざるをえない制約がある以上、成果主義賃金制度としての年俸制はインセンティヴを高めるどころか、モラールの荒廃を招くだけである。
 当局案は年俸制導入の前提となるそうした根本的制約について納得できる説明を行っていない。このことについて納得できる説明を行うことを要求する。
③ 当局案は、年俸制度の検討にあたって、「現行の給与制度を踏まえ、国立大学法人や私立大学などとの均衡に配慮するとともに」、「個々の教員に対するインセンティヴのある制度とする」としているが、示された制度概要は図示されたモデルのみであり、制度提案に必要な説明が尽くされていない。賃金規程で明確にされるべき点を念頭において当局案にたいする疑問点の概要を示す。
○ 年俸における固定部分と解しうる給料相当部分が「基本的構成」とされているが、その給与体系はどのような考え方にもとづいてどのように構成されているのか?
○ 現行給与体系と年俸制との照応関係の根拠が不明確である。
 現行給与制度における「調整手当、扶養手当、住居手当、初任給調整手当」相当分が「職務給」に当たるよう図示されているが、これらを職務給として扱うことはその性格からして適切ではない。業績評価の対象として想定された職務給としての扱いに調整手当や扶養手当等が組み入れられるのは、「現行の給与制度を踏まえ」たとはとうてい言い得ない変更である。これらの手当ては「給料相当部分」に組み入れるか、その性格にそくしたカテゴリーとすべきである。
○ 職務給と業績給との区分が曖昧である。
 職務給は業績給と同じ評価制度を用いた業績評価による支給とされており、上記諸手当相当分に当たる職務給の性格が評価制度のうえで否定され、実質上業績給体系に吸収されている。職務給と業績給とは、現行制度に由来する「出自」のちがいにかかわらず、業績評価にもとづく「変動部分」として扱われることになる。
 当局案に言う職務給は、業績給と明確に区別した制度設計を行うべきである。
○ 年俸のうち業績評価に連動させられる賃金比率があきらかでない。
 年俸における変動部分の比率は、たとえ個別合意があったとしても適切とみなされる減額幅を越えることは許されない。モデル図における変動部分は見通しのある生活維持を危うくするほどの幅になっており、懲戒処分における減給の限度を越える。適正とみなす減額幅をどう想定しているのか?
○ 業績給における業績評価の基準、手続が曖昧である。
 年俸の変動部分については、「教員評価制度による評価結果を活用する」としているが、評価結果が具体的にどのように用いられるかを明示的に規定されていない。
 業績に応じた支給額算定において、支給段階はどのように想定されているか? またそのさいの基準は何か?
 「目標達成度や職務業績に応じて支給」とされているが、これは「教員評価制度」における目標達成度評価および職務実績評価それぞれに応じて支給額を算定すると解してよいか? その場合、両者の関係をどう考えているのか?
 提案された教員評価制度において評価にたいする異議申し立てが認められた場合、また、使用者が公正・適正評価義務を怠った場合に生じる損害の補正・補償についてどのように措置するのか?
④ 再任時、昇任時の年俸改定について
 再任審査にともなう増減額の基準が審査時年俸にもとづく理由は何か?
 また、増減額を給料相当分と変動部分に「一定の割合」で配分するとあるが、どのような根拠からどのような割合で配分するのか?
⑤ 退職手当算定基礎額の考え方について
 現行制度においては退職日における給料月額となっているが年俸制において退職年度年俸の月額への割戻額を基礎額とする合理的根拠は何か?
⑥ 仮に年俸制を導入する場合に必要な移行過程をどのように考えているのか? この問題に関連して、以下の疑問を示す。
○ 年俸制の導入にあたっては、通常、年俸査定に携わる評価者の十分な習熟・訓練が必要とされるが、どのような試行期間を想定しているか?
○ 現行学部、短大等が並存して存続する期間における当該部門は年俸の査定にかかる評価対象となるのか?
 その場合、だれがどのように査定に携わるのか?
⑦ 「平成17年度年俸の考え方」について
 平成17年度賃金については、給与制度全般にわたる制度内容への協議と切り離して定めるべきである。
 そのさい、現行水準からの不利益変更が生じないことが必要である。

7 その他の勤務条件案について
 以下の見解、疑問、要求を示す。
① 現行勤務条件からの不利益変更とならない事項については同意する。
② 病院及び医学部の臨床系を除く教員について、就業時間を、8時45分から18時15分の内の7時間45分としているが、労基法の休憩時間規定の趣旨に反する長時間拘束を設定する根拠は何か?
③ 現行時間管理との異同について説明を求める。

8 教員評価制度について
① 教員評価制度は大学における学問の自由の遵守という原則の上に立って検討されるべきであるが、当局案はこの原則に抵触する内容をふくんでおり、教員の負う責務にてらし座視することはできない。
 当局案(「教員評価制度について」)では、「教員各自が自ら目標を設定」するとしているが、「自己申告内容の確認・設定」は評価者との面談をつうじてなされる。参考資料として付された「教員評価実施マニュアル」では、「面談の結果、調整できない場合は二次評価者が大学としての全体最適の立場で目標を指示することもある」としており、研究内容、教育内容について教員の自律性を損なう恐れがある。学問の自由の遵守という当然の原則が確認されるべきである。
② 当局案による教員評価制度を任期制と連動させることは、教員評価制度を再任の可否を最大の目的とする制度に歪めるものであり、「教育・研究の活性化」を促進するのではなく著しく損なう。
「教員評価の目的」として当局案に挙げられている事項と雇用契約打ち切り(雇い止め)の可否を問う再任審査の目的とは整合しない。
 とりわけ、役割に応じた目標の達成度を競わせ評価する目標管理制度は、職務を「最低限クリアすること」を再任要件の考え方として謳った任期制案の審査制度とは性格を異にするものである。
③ 年俸制における業績評価とのかかわりでも、すでに指摘したように、教員評価制度をどのような制度枠組み、査定基準、査定手続の下で用いるのかが不明確である。
④ 教員評価制度を任期制、年俸制に連動させるとしている点に鑑み、教員評価制度の制度設計に関する疑問及び要求を挙げる。
○ 評価の対象とされる「地域貢献」「学内業務」の評価対象領域として性格、範囲が曖昧である。査定項目の選択に客観性、公正性が担保されているか疑問である。
「地域貢献」に関して、一方でピックアップされた評価項目のみによる恣意的査定の可能性が存在するだけでなく、他方では、たとえばNPO支援など、市民社会における自発的で自由な活動でかつそうであるがゆえに意味ある社会・地域貢献を査定対象として統制する危険がある。
 「学内業務」に関して、査定対象となる業務への配置が自律的選択によるものでなければ、配置権限者による評価の操作が可能であり、公正と言えない。
○ 人事評価を行う者が当該評価領域・分野について優れた専門的能力を有することは、評価の公正性、客観性、信頼性を保つ上で不可欠の条件である。当局提案の評価者体系ではこの条件はどのように確保されているか?
 また、評価者は被評価教員の業績についてよく知悉していることが当然であり、これらの観点に立つならば、「教員評価委員会(仮称)」が評価を行うことは適切でない。評価・査定責任を曖昧にする点でも、「教員評価委員会」に学長が評価を「依頼」し、さらに一次評価者、二次評価者を「委嘱」するという手続は不適切である。
○ 教員評価を年俸等の教員処遇と連動させる場合、査定の公正性、客観性とこれらを検証しうる透明性の確保は教員評価制度導入に不可欠の要件である。
 当局案における「評価結果のフィードバック」は、評価・査定の内容とその根拠を誤解なく明瞭につたえる手続上、様式上の要件を満たすものとなっていない。
○ 教員評価の公正性、客観性を保障するためには評価者にたいする評価が必要である。また、そのさい、被評価者による評価者への評価は成果主義人事にあっても有効、必要な手段とみなされているが、当局案にいっさい言及されていないのは不可解である。
評価者にたいする評価制度、評価手続を明確に示すよう求める。
○ 目標管理型評価制度における評価者の役割の重要性から、その導入にさいしては、評価者に対する十分な研修期間を含む試行期間が設けられるのが常識である。当局案はそうした試行期間を置かぬものとしているのか?

 以上。


Posted by 管理者 : 掲載日時 2005年01月18日 00:32 | コメント (0) | トラックバック (0)
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2005年01月06日

横浜市立大「無抵抗な家畜の群れ」化へのマニュアル:横浜市当局、勤務条件・任期制等について提示

学問の自由と大学の自治の危機問題(佐藤真彦教授)
∟●「無抵抗な家畜の群れ」化へのマニュアル: 横浜市当局、勤務条件・任期制等について提示(2005/01/05)

「無抵抗な家畜の群れ」化へのマニュアル: 横浜市当局、勤務条件・任期制等について提示

横浜市当局は,昨年末の12月28日に,教員組合に対して勤務条件・任期制等についての文書を提示した(下記のpdfファイル1~7[1]を参照)[2].一読して明らかなように,教員評価制度と連動した,全教員に対する任期制と年俸制を強制することで,行政の意を汲んだ教員の協力のもとに,市当局が教員を徹底管理することを第一目的としたマニュアルとなっている.すなわち,伊豆利彦本学名誉教授がいみじくも指摘された,教員を「無抵抗な家畜の群れ」[3]化するためのマニュアルである.

これで,中田宏市長,池田輝政総務部長(現泉区長),および,橋爪大三郎「あり方懇」座長(東工大教授)の連携プレーによる無法・違法の大学破壊のためのシナリオ[4][5]が,現大学事務局官僚の手によって,細部の詰めに至るまで仕上げられたことになる.

それにしても,教授会そのものを消滅させた上に,人事権のみならず教員の身分保障を剥奪する等の暴挙が,さしたる抵抗もなくすんなりと通って,中田市長と横浜市官僚にとっては,おそらく拍子抜けものの,予想をはるかに超えた“大戦果”だったのではないだろうか.下記に,2年前の「池田暴言」[6]のさわりをあげておくので,このことを確認されたい.

小川恵一学長を筆頭とする“すり寄り派”教員の積極的加担,および,一般教員の過剰な臆病と鈍感がなかったなら,これほどスムーズにことが運ばなかっただろうことは,間違いない.

ごくごく近い将来に,行政に対する批判はおろか,同僚教員,とくに,従来のような民主的選挙を経ずに上意下達で任命された幹部教員の学説やその指導学生の研究内容に対しても,学位審査会等において,まともにコメントすることすら憚られるという,甚だ好ましくない雰囲気が到来するだろう.これを,“学問の死”と呼ばずに何と呼ぶのか[7].うのき氏の痛烈な指摘を待つまでもなく,批判精神が消滅し,保身と打算の奴隷精神が蔓延するであろうそのような大学に,何の価値があると言うのか[8].

伊豆氏は叫ぶ.「大学問題を言論思想の自由に対する破壊の問題としてとらえる必要がある。そして、それはファシズムの支配、戦争国家への道なのだ。・・・いまの日本は民主主義の国だという。笑うべき幻想だ。すでに日本は戦争に踏み込んでいる。いま、私たちはどのようにして、それとたたかうことができるか。・・・」


文中にある注は「続きを読む」に掲載

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[1]
教員組合からのpdfファイル
1.「公立大学横浜市立大学職員の勤務条件(教員)」
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/041228-1 Jouken.pdf
2.「就業規則の概要」
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/041228-2 Shuugyou.pdf
3.「別紙1 教員の給与制度について」
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/041228-3 Besshi1.pdf
4.「別紙2 教員の任期制について」
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/041228-4 Besshi2.pdf
5.「別紙3 教員評価制度について」
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/041228-5 Besshi3.pdf
6.「教員評価実施マニュアル」
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/041228-6 Manual.pdf
7.「各種シート」
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/041228-7 Sheets.pdf

[2]
横浜市立大、新たな教員人事制度の構築に向けた取り組み04-12-30
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/041230katayama-ycu.htm
http://university.main.jp/blog2/archives/2004/12/post_306.html

「公立大学法人横浜市立大学職員の勤務条件(教員)」(2004年12月28日付文書)の問題点 永岑三千輝氏『大学改革日誌』2005年1月4日付05-1-4
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/050104nagamine.htm
http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/SaishinNisshi.htm

横浜市立大の全教員任期制、「恐るべき法解釈」「一般民間企業で全社員を有期契約にしている事例はあるのか」05-1-5
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/050105katayama-nagamine.htm
http://university.main.jp/blog2/archives/2005/01/post_325.html

[3]
日本はどこへ行くのか 04-12-26
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/041226izu.htm 
・・・横浜市大を訪れて、そこに私は廃墟を見た。いまの学生や教授に無抵抗な家畜の群れを見た。学問に理解のない市長とその手下に見事に料理された情けない廃墟を見た。そして、それは我が日本国の運命なのだと思った。日本はどこへ行くのか。・・・

[4]
学問の自由と大学の自治の敵,橋爪大三郎「あり方懇」座長の危険性02-12-11
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/page033.html 
・・・したがって,橋爪氏(および「あり方懇」を主導している横浜市大事務局)は,まさに,"学問の自由と大学の自治(および民主主義)の敵(破壊者)"であると断じざるをえない.・・・橋爪大三郎氏および横浜市大事務局の圧力に抗して,また,独立行政法人化・民営化の潮流に飲み込まれることなく,家永三郎氏が身をもって示したように,また,ウォルフレン氏の言うように,"荒野に呼ばわる少数者の声"を上げる"勇気"が,われわれ教員のひとりひとりに求められていると思う.・・・

[5]
『自作自演の茶番劇』:03/12/01横浜市が”大学側”改革案の全面的受け入れを表明03-12-04
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/031204chaban.htm
・・・ “コワモテ”で鳴る石原慎太郎知事による,東京都立4大学に対する有無を言わさぬ強権的な“改革”(大学解体・破壊)に比べると,“市民派”中田市長のソフトさ・寛容ぶりが際だっているように見えるが,この横浜市大改革も,その実態は,都立4大学の場合と同様の,凄まじい大学解体・破壊であり,市長と市大事務局が主導した“自作自演の茶番劇”であることが,その経緯を見れば歴然となる.・・・

[6]
『部外秘資料』が語る,横浜市立大学の"独裁官僚"と似非民主制03-1-28
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/page036.html 
・教員は商品だ.商品が運営に口だして,商品の一部を運営のために時間を割くことは果たして教員のため,大学のためになるのか.
・教員はだれにも管理されていない.自己管理だから問題なのだ.国立は教員評価がはじまった.評価が一番低い教員はクビになることだってある.
・改善するためには,現在の人事制度を全面否定して,ゼロから立ち上げるしかない.発議権は現場に与えられたとしても,最終決定は全学的制度の下で決定すべきである.
・人事を誰が握るかですべてが決まる.私立の理事会のように,決めたものを拒否できるシステムを作るべきであろう.
・大学教員はパーマネントで,教員を管理している人が誰もいない.そういうものを作らない限り,よくやっている人が馬鹿を見ることにもなると思う.
・横浜市から金をもらってこの大学が成り立っているという意識がない.喩えて言うならば,生んでくれた親に何をしてあげられるのか.大学が持つ資源で地域に何が出来るのかを考えなければならない.
・教授会がごちゃごちゃいわなければ,すんなり決まる.その辺をはっきりするということだ.
・教員は現実は違うのに自身をスーパーマンだと思っている.なんでも出来ると思っている.そこに事務が配転してくればやる気がなくなる.
・教員は横浜市に雇われているという意識がない.設置者がつくった制度を知らないで議論している.権限の構造がどうなっているかを教員は知らなければいけない.
・教員は自分の役割をはっきり認識していない.制度の上にたった自覚がない.何でも出来ると思っている.事務局の責任も8割はあると思う.うるさい集団に対して面倒くさい,やめようと思って,力を発揮していない.
・大学人の自由でありたいという願望があるわけだが,そのことと教員ひとりひとりがどういうふうに今の制度を認識しているかということの差の現れだと思う.市大の教員になった時に,公立大学であるということ,だからこういうルールがあるのだということを知らしめないといけない.
[7]
阿部泰隆(神戸大学):「大学教員任期制法の濫用から学問の自由を守るための法解釈、法政策論―京都大学井上事件をふまえて」+『追記』04-3-28
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040328abe.htm 
・・・任期制は多数派による少数派弾圧手段 任期制は、身分保障に安住した怠慢な教員を追い出し、大学を活性化する手段だ等と思っている人が多いが、実は逆で、任期制法が適用されると、失職か再任かを決めるのは、当該大学(教授会、あるいは理事会)である以上は、怠慢な教員が追い出されるのではなく、学内派閥の少数派は、どんなに業績を上げても、追い出されやすい。多数派の身分が保障され、少数派の身分が害されるだけである。そこで、多数派に隷従するか、むしろ、自ら多数派になるしか、学内では生きることができない。同じ大学で、競争講座をおいて、あえて学説の対立を現出することによって、学問の進展を図ることなど、およそ夢の又夢になる。これでは、教員の学問の自由が侵害され、大学が沈滞することは必然である。したがって、教授の任期制を導入するまともな国はない。任期制が一般的な韓国でも、それは副教授以下に限っているから、日本のしくみは国際的にも異常である。私は、これまで幾多の闘争をしてきた。それは学問を発展させたと信じているが、それが可能となっているのは、わが同僚からは追放されない保障があるからである。もし同僚と意見が合わないと、追放されるリスクがあれば、私は「毒にも薬にもならないお勉強」をするに止めたであろう。・・・

[8]
「自治」以前の問題としてへの返信(2004.12.28)04-12-28
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/041228izu-unoki.htm  
・・・市大の大学人のほんの一握りの誠意ある非常勤の先生方とごく一部の真面目な学部生をのぞきましては、「何ごとにも優先すべき事項」とは「自分」であると思われます。このような市大が市民からの信用回復を得るには・・・市大にいる大学人自身が、いま「何ごとにも優先すべき事項」を考え直す必要があるのではないでしょうか。・・・


Posted by 管理者 : 掲載日時 2005年01月06日 01:55 | トラックバック (0)
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2005年01月05日

横浜市立大の全教員任期制、「恐るべき法解釈」 「一般民間企業で全社員を有期契約にしている事例はあるのか」

大学改革日誌(永岑三千輝教授)
 ∟●最新日誌(2005年1月4日)

 「公立大学法人横浜市立大学職員の勤務条件(教員)」(2004年12月28日付文書)で、一番の問題は、やはり「任期制」「年俸制」を深く検討しないままに、行政当局の圧力で法的整合性に問題があるにもかかわらず、導入しようとしていることであろう。「任期」の項目のもと、「1.有期雇用契約 「大学の教員等の任期に関する法律」の精神に則って、労働基準法に基づき、原則として全教員を対象として期間の定めのある雇用契約を締結する」と。私はこの規程の根本において法律的に問題があるのではないかと感じる。

 「大学の教員等の任期に関する法律」(「全国国公私立大学事件情報HP・大学教員任期制ウェブログにリンク」)はその精神(目的)として、「第一条  この法律は、大学等において多様な知識又は経験を有する教員等相互の学問的交流が不断に行われる状況を創出することが大学等における教育研究の活性化にとって重要であることにかんがみ、任期を定めることができる場合その他教員等の任期について必要な事項を定めることにより、大学等への多様な人材の受入れを図り、もって大学等における教育研究の進展に寄与することを目的とする」とある。「できる場合その他」を限定して規定しようとするものであり、全教員を任期制にすることを予定したものではない。大学開設の科目等で何が任期制科目としてふさわしいか検討し(教授会・評議会、研究教育評議会など大学の自治の観点からしかるべき機関で)、限定的にその趣旨にしたがって導入しうるというものである。

 文章を素直に読めばわかるように、また国立大学法人や学校教育法に基づくほとんどの私立大学のほとんどの教員のばあいにおいても、また本学のこれまでの条件においても、基本は任期のない基幹的な教員集団(定年までのテニュア付き教員集団)で大学の教育研究を担う。ただそれだけでは、「多様な知識又は経験を有する教員等相互の学問的交流が不断に行われる状況」を作り出せない問題点があり、「教育研究の活性化」のためには、相互交流を活発化する必要性を認めて、限定的に任期制の教員を導入するとしている。全教員を任期制にするというのは、立法の趣旨、大学の研究教育の恒常的安定性から言って、詭弁であろう。「大学教員任期法」の諸規定が、学校教育法等に依拠した評議会(教授会)での任期制導入の審議を前提にしていることも、重要である。

 本学の「任期制」導入を掲げた「あり方懇」答申の当時、そしてそれを受けた「大学像」策定の当時、「大学教員等の任期に関する法律」しかなく、明らかにそれを前提にした限定的な任期制であるのが筋であった。ところが、その後大学教員に関わらない一般の労働基準法に「任期制」を広く導入することを可能にする改正が行われると、大学教員という特定の職業の枠(「大学教員任期法」の諸規定を見れば大学の自治を尊重した種種の制約条件がある)を無視して「全教員」を対象にできるからと「労働基準法」に基づく任期制を導入しようとしているのである。これは法理にかなったやり方だろうか?

 本学の教員は、大学教員としての固有の使命や仕事の内容をもったものとしてではなく、一般の企業と同じ職業のものとして扱われ、しかも、一般民間企業でも全職員(全社員)を「有期契約」などにしている事例はないにもかかわらず、全教員を「有期契約」に投げ込もうとしているのである。恐るべき法解釈ではないだろうか?

 基幹部分を安定した教職員でしっかりカバーしていない大学(企業)などあるのだろうか?

 これが、研究教育の活性化に貢献するのか?

 教員の仕事の評価を定期的にきちんと行うこと、それを給料等にしかるべき合理性をもって反映することはありうるが、任期を定めて首切りを可能にする(しかもその評価は大学の自治的システムとは別に行政が任命した管理職によって行える)こととは別であろう。 

 目的・精神においてもその適用においても、重大な問題(私の解釈では法律違反)をはらんでいると考える。労働基準監督所でこれが通用するのか?

 本学で導入されようとしている上記条項は、もし何も問題ないのだとすれば,今後の日本の大学、社会にとっても重大な(深刻な)意味を持つものではなかろうか?

 法律とは、いろいろな意味で力(権力)をもったものが、自由に解釈し、自由に適用できるものなのだろうか?法律体系(諸法律の関連)は考えないでいいのか。憲法において「大学の自治」が保障されている意味は、一体何なのか? 本学には法律家はいないのか?

 年頭にあたって、この根本問題を改めて考えさせられる。

 11日には教員組合の集会が予定されている。そこでの意見交換に期待し、しっかり勉強したい。


Posted by 管理者 : 掲載日時 2005年01月05日 01:06 | トラックバック (0)
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